坊主頭が似合う男性について語ります。
日曜に放送された「世界ウルルン滞在記」に高良健吾が登場した。この回の放送ではまずふんどし一丁でのオイルマッサージの場面で高良君のきれいな身体が見られたのはよかった。番組の中での彼の発言を表面的にとらえて彼は頭があまりよくないと思う人がいるようだが、次のように違った解釈もできる。
まず、高良君はインドの医者から何を言っているのかよくわからないと言われた。これについては言語の壁というものがあることを忘れてはならない。患者が言葉では自分の症状をうまく伝えられないということは珍しいことではなく、経験のある医者はうまくコミュニケーションをとって患者の気持ちを理解するものだ。だから、高良君が現地の言語か英語を話せれば状況はかなり違ったものになったと推測される。さらに、非常に相手に気を遣って話す人であれば、言葉を選ぶのに時間がかかったり、うまい表現が出てこなかったりするのは無理もない。
次に、彼の英会話の能力について。現在の日本での英語教育の実情からすると、高校を卒業しても英語が話せないのは普通のことだろう。外国語で会話ができるようになるにはかなり長い時間の訓練が必要で、中学・高校の英語の授業時間ではとても足りない。ガソリンスタンドで高良君が「昨日」を「tomorrow」と言ったことをとらえて、こんなことも知らないのかと思っている人がいるようだが、誰でもあわてて言い間違えることはあるだろう。彼は自分の荷物がどうなっているのか不安であったという事情を抜きにして、あの場面での彼の言動を評価するのは公平とはいえない。
それから、ガソリンスタンドで無事荷物が見つかった後、彼が日本では大丈夫だけどインドでは取られるかもしれないと思っていたという趣旨の発言について、インドを見下した発言だと理解する人がいるようだ。これについては、別にインドがどうこうということではなく、一般に海外は日本のように安全ではないという認識を述べたものだろう。それに、彼は「自分が情けない」と反省の弁を述べているではないか。
毎日マッサージを受け、マッサージを学んでいることに疑問を抱き、涙を流したことや、インド人の師匠にその疑問を打ち明けたことを冷笑する人がいる。これについては、スタジオにいた木村祐一のなんとなくということができないのだろう、何にでも意味がないといやなのだろうという趣旨の発言、および、石坂浩二の若いときにああいうところに行ったら意味を考えなきゃならないでしょうという趣旨の発言がまっとうなものだと思う。また、インド人の師匠がとった態度はさすがである。
今回の旅で高良君は人のために何かをすることが自分のためにもなることを自分の体験を通じて実感した。このようなことがわかった人間を馬鹿の一言で切り捨てていいのだろうか。
要するに、高良君は現在東京および芸能界という新しい環境に一生懸命適応しようとしているプロセスの中にいるのだが、彼は真面目で純粋で世渡りがうまくないので、彼の置かれている事情や彼の気持ちをよく知らない他人には彼が馬鹿のように見え、本人は日々ストレスを感じているというのが穏当な理解だとわたしは思う。
たしかに、徳光和夫から発言を促されて、「自分でも成長できたと思う」と言うのはナイーブともいえるが、今のところは18歳の若者の率直な発言ということで目くじらを立てる必要もないだろう。
今回の番組を観てわたしも高良君に言いたいことはいろいろあるが、あくまで将来のある若者を応援するという気持ちで彼にメッセージを送ることにしたい。
2013年8月現在この回はDVD等には収録されていない。
なお、先月彼のオフィシャルブログが開設された。
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